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大塚家具の上場廃止で今後はどうなる?事業再生の難しさとスポンサーの重要性

2021年6月9日付のプレスリリースで、大塚家具はスポンサーであるヤマダホールディングス(ヤマダ電機)の完全子会社となり、上場廃止となることが発表されました。

1980年の株式店頭登録から数えると40年以上、上場期間は終わりを迎えるということになりました。

大塚家具は皆様ご存じの通り元々はハイエンド向けの家具販売会社だったものがここ数年で迷走、お家騒動を経てヤマダ電機傘下に入り最後は上場廃止ということになります。

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上場廃止する大塚家具とは?

大塚家具は少なくとも過去は特にハイエンドを得意とした家具販売店です。

1969年に桐ダンス職人の息子であった創業者大塚勝久氏が立ち上げました。

ビジネスモデルの特徴としては、みずからの業態をIDC「International Design Center」とし、良質でハイエンドな家具を世界中から調達し、卸と小売の両機能を備えた企業です。

従って、有明本社や、閉店してしまった銀座本店などの店舗での小売りの他、法人部門も擁しています。

大塚家具の上場廃止で株式はどうなる?

大塚家具の株式は上場廃止でどうなるのか?

上場廃止日は8月30日の予定となっていますが、ここで大塚家具の株式が紙屑になってしまうわけではありません。

大塚家具の株式は会社法に定められる手続きを経てヤマダホールディングス株式と交換されます

大塚家具株式1株に対して、ヤマダホールディングス株式0.58株が割り当てられることになります。

通常であれば株式交換による組織再編は株主総会の特別決議が必要になりますが、大塚家具はヤマダホールディングスの子会社であり、かつ純資産が5分の1に満たない等の条件を満たすことにより、株主総会決議を省略できることになります。

これは会社法第796 条第2項の規定による簡易株式交換と呼ばれています。

大塚家具が上場廃止となった原因は

大塚家具が上場廃止となった原因は究極的には、長年の業績悪化に歯止めがかからず、スポンサーであるヤマダ電機が完全子会社としてテコ入れが必要と判断したこのによります。

ではこの業績悪化の原因や責任はどこにあったのでしょうか?

大塚家具上場廃止の責任は前社長大塚久美子氏?

色々な報道がなされており、批判も集中していましたが、大塚家具上場廃止の原因は間違いなく大塚久美子氏も大きな責任があると考えます。

ただ、これまでの大幅な業績悪化は久美子氏一人の経営能力の欠如によるものなのでしょうか?原因は複合的であると考えます。

まずやはり勝久氏、久美子氏の両者の能力の問題というよりはお家騒動長期化による経営基盤の不安定化が一番の原因であったのではと考えます。

また、会社として消費者需要の変動についていけないままコロナの影響をもろに受けてしまったことも一因かと思います。

大塚久美子氏は過去に一度は業績改善させた実績あり

2009年に創業者である大塚勝久氏が社長を退任し、久美子氏が一回目の社長就任となりました。

2009年4月は14.5億円の営業赤字となっています。

久美子氏就任後は業績が一旦回復し、2010年の営業利益は11.5億円の黒字、2011年は11.8億円の黒字となっています。

2014年にはまた約4億円の営業赤字に転落しましたので、これだけで評価することは難しいのですが、少なくとも赤字脱却を経験しています。

これはもちろん、現場の従業員の努力の賜物であることは間違いないですが、少なくとも久美子氏のかじ取りはこの時点では会社に大きなロスは生んでいませんでした。

久美子氏は富士銀行(現みずほ銀行)出身者であり、当時関わっていた業務によりますが一般的な決算数字や経営に関する知識はある程度銀行業務で取得できるはずです。

実際久美子氏のおおまかな施策としては、今までの店員が積極的に顧客について回る接客を見直し、よりカジュアルな雰囲気で顧客を迎え入れるスタイルに変更したようです。

時代はおりしもリーマンショック直後で経済危機の真っただ中でした。

顧客をがっちり掴んで高価格帯の家具を販売するよりは、より顧客層の間口を広げて販売するスタイルが当時は合っていたのかもしれません。

当時の株主からも支持されていたのだが。。。

2014年に一時的に社長に戻った創業者勝久氏ですが、やはり業績は悪化したまま連日報道されたお家騒動が勃発します。

詳細は割愛しますが、結果的には久美子氏が株主を味方につけることができ社長復帰、勝久氏は会社を去り、その後同業の匠大塚を創業します。

両者の大塚家具経営の意見対立は概ね創業者である勝久氏の会員制、高級路線、店員による積極的な接客に対して、久美子氏のより間口の広い購入者層、価格帯に分けられました。

一つの事実として当時の株主であった米投資ファンドのブランデス・インベストメント・パートナーズや議決権行使助言サービスのインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズは久美子氏を支持しています。

少なくとも投資のプロである株主は久美子氏の考えがより適切な運営であると当時は判断しました。

ただし結果は2015年12月期に4億円の営業黒字に浮上して以降は直近にいたるまでずっと赤字を垂れ流しつづけ、ため込んでいた内部留保や現預金は吹っ飛んでしまいます。

当時はTKPに実質的なスポンサーになってもらいますが、結局2019年にヤマダホールディングスの子会社となり、2021年9月には100%子会社として上場廃止となります。

久美子氏が社長に再度就任してからは明らかに下降局面に

社長再任後の久美子氏の運営成績は上述の通りさんざんです。

要因としては創業者支持をしていた取引先や、得意先が打ち切られてしまったとのこと。強引ともいえる方向で勝久氏の路線から離れた運営を行われたようです。

また、腕のいい職人も会社を離れ、内部人事も混乱を極めていました。要は内部の問題が全く解消しないまま外部の重要なステークホルダーを失っていったのです。

店舗縮小が果てしなく続くという中で働く社員の気持ちはつらいものだったでしょう。

業績悪化を止血できず、人材の流出させつづけ、重要なステークホルダーが離れてしまった責任は、記事報道が本当であれば久美子氏に責任があると考えます。

むしろ2009年の業績改善の際の状況と整合性が取れないのですが、何が違ってどのようなメンタリティで経営を続けていたのでしょうか?

勝久氏が社長に戻っていたら大塚家具の業績は好転していたのか?

たらればになりますが、勝久氏が仮にお家騒動に勝利していれば業績は好転していたのでしょうか?

リーマンショック直後は勝久氏のやり方では業績の悪化が継続していたところ、久美子氏が社長就任してからはある黒字化など業績の回復は見られました。

もちろん市場の回復による追い風もあったのでしょうが久美子氏が標榜していた販売手法が当時はある程度効果があったのかもしれません。

一方でお家騒動後の2015年以降の経済状況は鈍いペースとは言え市場はそこまで悪くありませんでした。

しかしながら2015年以降はイケアやニトリ等の低価格路線の企業がますます勢いがある中でマス層に近づける久美子氏の戦略は結果的に間違っていたのかもしれません。

では、勝久氏が社長に戻って入れば違った結果になっていたのでしょうか?

匠大塚は事業継続していますが、果たして大塚家具で高価格路線に戻っていた場合うまくいっていたかどうかは分かりません。でも少なくとも路線的には低価格との競争は避けられていたのでしょう。

ネット販売浸透をどう見積もるかで見方は変わってきます。

上場廃止後の大塚家具はどうなる?

大塚家具の上場廃止

完全子会社化された大塚家具は個人的に事業好転する材料がそろっていると考えています。理由は以下の通りです。

大塚家具の事業好転ポイント

  • 財務基盤がより安定化
  • 共同仕入れ等によるコスト削減機会
  • 上場維持の為の経営管理コストの削減
  • ヤマダ電機の店舗を活用した売り場の拡大

これは大塚家具のプレスリリースに書いてあることそのままですが、やはり大手企業の傘下となれば売上拡大とコスト削減の両面からシナジーが見込める為、再浮上の可能性は十分あります。

企業が再生する上でスポンサーによる支援というのは大きな影響を与えます。特に事業会社からの支援は一定程度のシナジーがあると判断されて投資を受けることになるので一般的には事業好転の確度は上がります。

と同時に一旦苦境にたってしまった会社が自力で事業再生するのは非常に困難が伴います。外科手術的な不採算部門の閉鎖だけでなく、財務を立て直したりしながら売り上げを同時に回復させていくのは市場の力を借りるだけでは達成が難しいです。

唯一の不安要素と言えばブランドイメージでしょうか。

今までは少なくともハイエンドで洗練された商品ラインアップのものが、よりマス層をターゲットとしているヤマダ電機のブランドイメージとどう融合していくのかは読みづらいところではあります。

ただ、近年のドタバタ劇で大塚家具のイメージもかなりの程度変わってしまったのかもしれませんので、ブランドも含めた生まれ変わりの機会とポジティブにとらえることもできるかもしれません。

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